日本最高峰のスーパーアーティスト、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチともいわれるのが本阿弥光悦。 工芸家であり、書家でもあり、時には画家になったかと思えば、陶芸までこなし、作庭も天才的なレベルで、能面まで打つというマルチ・アーティストっぷり。「創る」ということにおいて、一級品のセンスを発揮し、すべてのジャンルに名品を残してきました。今回は本阿弥光悦について迫りたいと思います。
出展:wkipedia
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本阿弥光悦の出自
本阿弥光悦は刀剣の鑑定・研磨を家業としている本阿弥家に1558年に生まれました。ですが、刀剣に関連した偉業はほぼ記録に残っていません。ただ、刀剣は刀それ自体に加えて、鞘(さや)や鍔(つば)などの製作に、金工や漆工、皮細工に蒔絵、螺鈿といった技術が注ぎ込まれています。光悦は幼い頃から、こういった工芸技術に関し、ハイレベルな技を目の当たりにしていたのではないでしょうか。その後、身につけた工芸知識とともに、独自に勉強していた和歌や書の教養を反映して、数々の芸術作品を生み出していくことになったのでしょう。
光悦村に隔離?
光悦は洛北に芸術村(光悦村)を築きました。なんでも、徳川家康から鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人の仲間たちを率いて移住したようです。徳川家の意図には、王朝文化を尊重し、朝廷ともつながりの深かった光悦を都から遠ざけたい思いがあったともいわれています。アーティストとしてものすごい力を持っていた光悦は、千利休を彷彿させるものがあったのかもしれません。
光悦なくして琳派無し!?
俵屋宗達、尾形光琳ら琳派の創始に、光悦が大きく関係したのはまちがいありません。才能がある宗達を見出し、表の舞台での活躍に一躍買ったのは、いわずもがな光悦です。光悦がいなければ、その後の光琳も生まれていなかったかもしれません。となると、かの国宝「紅白梅図屏風」も生まれていなかったことでしょう。光悦の功績はこんなところにも及んでいます。
陶芸家としての光悦
陶芸では楽家の2代:常慶、3代:導入(のんこう)に習ったと思われる楽焼の茶碗を残しています。数々の名椀は、歴代の茶人を魅了してまいりました。とりわけ、茶碗マニアとしては白楽「不二山」、赤楽「乙御前」、赤楽「雪峯」、黒楽「雨雲」は死ぬまでに一度は見ておきたい茶碗です。
本阿弥光悦の代表的な茶碗
本阿弥光悦が残した代表的な茶碗をご紹介します。
国宝 白楽茶碗「不二山」
- 所蔵:
- 不審庵蔵
- 高さ:
- 9.0cm
- 口径:
- 9.6cm
- 高台径:
- 5.3cm
国宝 白楽茶碗『不二山』|本阿弥光悦
赤楽茶碗「乙御前」
- 所蔵:
- 個人蔵
- 高さ:
- 9.0cm
- 口径:
- 10.8cm
- 高台径:
- 4.0cm
赤楽茶碗『乙御前』|本阿弥光悦
赤楽茶碗「雪峯」
- 所蔵:
- 畠山記念館蔵
- 高さ:
- 9.4cm
- 口径:
- 11.6cm
- 高台径:
- 4.2cm
- 胴径:
- 12.9cm
重文 赤楽茶碗『雪峯』|本阿弥光悦
黒楽茶碗「雨雲」
- 所蔵:
- 三井記念美術館蔵
- 高さ:
- 9.0cm
- 口径:
- 12.5cm
- 高台径:
- 4.8cm
黒楽茶碗『雨雲』|本阿弥光悦
出典
- wikipedia